彼女について語る
私は犬を飼っていました。
畳みたいな色をした毛の長いチワワでした。
性別は女の子。
人懐っこく、誰にでも撫でて欲しがる子でした。
気性は勇ましく、自分の数倍はある大型犬にも勇猛果敢に吠え散らかし
決して引かない性格でした。
見た目はチワワ特有のクリクリとした目とピンと大きく立つ可愛らしい耳、その耳の元からチョロリンって生える飾り毛が印象的でよく近所のおばさまに
「あら可愛いネコね〜」と褒めていただいたほどでした。(犬です笑)
アウトドア派で毎日の散歩は欠かさず、ダイエッター顔負けのナイススタイルでした。
彼女は私のぬいぐるみであり、妹であり、娘であり、宝石でした。
もともと体は弱く、若いうちから病院にかかる子でした。
私が大学生で時間に余裕があったのでよく病院に慌てて連れて行ったことがよくありました。
普段は血気盛んな性格であったにもかかわらず病院内ではどんなワンちゃんがいても
吠える事なくおとなしくしていたものです。
今はもう、散歩に行くことも、病院に連れて行くことも、ありません。
彼女がお気に入りのクッションは姿を消し、彼女が夜眠ったケースは空になりました。
愛用の毛布は母が泣きながらゴミに出し、食べきらなかったドックフードも処分されました。
骨壷がリビングの隅に飾られました。
私は実家から遠く離れたところに住んでおり、年に1〜2回帰れば良い方でした。
しかし、コロナの影響で2年ほど全く帰省できていませんでした。
骨壷が実家に置かれたその日も家には帰れていませんでした。
代わりと言ってはですがその日の私の目は泣きはらしてブスになっており
彼女への気持ちが少しだけ現れていたと思います。
あの泣きはらした日からもう2年が立ちます。
未だに思い出すのです。
私に向かって全力ダッシュで走ってくる姿。
私が横になると彼女も一緒に横になってお昼寝した時間。
美味しそうにドックフードを食べる顔。
車の窓から外の世界を見つめる姿。
鮮明に、彼女と過ごした15年間の姿が思い出されてしまうのです。
そして私は、生活の端々で思い出しては涙を流します。
もっと生きてほしかった。
最後に看取って上げたかった。
上京なんてしなければよかった。
彼女は最後に私の姿を見つけられずどんなに寂しかっただろうか。
涙が止まらず溢れ、口元が震え、上手く話せなくなります。
仕事や家事に手がつかなくなり、悲しさで頭がうまく働かなくなるのです。
彼女は私のぬいぐるみであり、妹であり、娘であり、宝石でした。
全て失ったのです。
この喪失感が私の中での彼女の大きさだったんだろうと思います。
しばらくこの悲しさは消えないでしょう。
もしかしたら一生消えないと思います。
それでも彼女の思い出と一緒に前に進むしかないのでしょうね。